睡蓮の華の如くに

 池の水面に咲く、睡蓮の華を見て、誰も見た事の無い筈の、極楽浄土を想像する人も多い。水の女神と讃える西洋人の思いも分かります。
 卑猥な事に現を抜かして居る人も心が洗われる思いが致します。
 モネは其の様な睡蓮を数多く描いて居ます、砂漠の国のエジプトのナイル湖畔では睡蓮が自生して居て「ナイルの花嫁」と言われて居るそうです。砂漠の国では其の思いも一際で有ろう。
 辛い現実から逃避する為に宗教に頼る人も多い。人の心の弱みを悪用し、次々と怪しげな新興宗教が出来て来ます。如何なる理由が有ろうとも、人殺しを容認する神仏等有る筈が無いのに、其れに気が付か無い人達が実際に居ます。世界には神の御心の為に人殺しも良しと思って居る族が居ます。
 自爆テロを行う人も居ます。自分の命まで奪う神仏を信じる人が居ると言う事は、凡人には理解出来ません。宗教家の巧みな言葉に騙されて居るので有ろうか、其れとも自らの命を絶って迄、晴らしたい恨みをかう様な事をした政治家が責めを負うべきなのか。
 宗教指導者が可笑しな事を言い出しても、其の間違いに信者は気が付か無い。釈迦やマホメット、キリストの言った事を自分に都合の良い様に解釈する為に可笑しな事に成ってしまう。
 経典の中に人殺しを容認する様な事等書かれて居る筈が無い。神の名に於いて自爆テロをすれば、家族が救われ、自分は極楽浄土の行けるとでも思ったので有ろうか。
 在る筈も無い、極楽浄土を夢見て、一度しか無い命を捨てるので有ろうか、愚かな。
 戦争に拠って、両親や子供、最愛の妻を殺されたら、普通の男の心も鬼に成ってしまうのも当然で有ろう。自爆テロリスト丈を責めるのは片手落ち、戦争を始めた政治家も責めを負う冪で有ろう。
 其の政治家達も神を信じ、世界平和の為に戦争を始めた、自分達の判断は正しかったと訴え続けて居るので有る。
 物理の世界では真理は一つで、一つの法則で全てを証明出来るのが理想では有るが、宗教界では真理は沢山有る様です、宗派に拠って教えが様々で、宗派に因る作法の違いにばかりに気を使って居るのが現状です。
 植物園に出かけると池の水面で世界中の珍しい睡蓮の華が咲き誇って居る。溜息の出る程の美しさでは有るが、写真に撮って帰るのが関の山で有る。多くの人は見て居る丈で有る。
 自宅の庭に池を作って睡蓮を植えられる人は幸せ者で有る。多くの人は他人の睡蓮で自分の極楽浄土を夢見て居る内に歳を取ってしまうので有る。
 日頃の卑猥な生活を改める為、部屋に睡蓮の写真を飾る人も多い。心が洗われる効用は少しは有る様で有る。
 インターネットのホームページに睡蓮の華を掲載して居る人の多さからも。如何に睡蓮の華を見て心を洗い清めたい人の思いが多いかが分かります。時々は「睡蓮の花」で検索して睡蓮の華を眺めては、泥沼化して居る現在の政局に疲れた心を癒しましょう。
 不思議なのは華の匂いである、馨しい華の匂いも又、極楽浄土を連想させます。行った事の無い極楽浄土に着いた様な気持ちに成ります。人の好みも虫と同じなのが不思議でも有る。
 其の華から多くの香水が作られ、世界中の女性が愛用して居ます。自分の好きな香水を自分の匂いとして覚えて貰う為に、一生涯、其の香水だけを使い続ける女性も居ます。其の女性に引かれる男も又、虫程度なのか。
 極楽浄土とは仏教では如何う説くので有ろうか、阿弥陀経には詳しく説かれて居る様です。
 今を去る事十劫の昔、阿弥陀仏は成道して西方十万億の仏土を過ぎた彼方に浄土を構えられた。そして現在でも、此の極楽で人々の為に説法して居る。
 此の極楽と言う仏土は広々として居て、辺際の無い世界で在り、地下や地上や虚空の荘厳は微を極め、妙を極めて居る。此の浄土に在る華池や宝楼、宝閣等の建物も又浄土の宝樹も、皆金銀珠玉を鏤め、七宝乃至は百千万の宝を以って厳飾されて居る。然も、其れ等は実に清浄で有り、光明赫灼と輝いて居る衣服や飯食は人々の意の儘に得る事が出来、寒からず暑からず、気候は調和し、本当に住み心地の良い処で在る。又、聞こえて来る音声は、常に妙法を説くが如く、水鳥樹林も仏の妙説と共に法音を述べる。従って此の浄土には一切の苦は無く、唯楽のみが在る。
 此の世界では仏の無量寿、無量光と同じく、一切の人々も又無量寿、無量光で有り、智慧と慈悲とに窮まりが無い。常に法楽を受け、諸仏を供養し、出でては苦の衆生を救済し、化益する事が出来るので有るしかも、此の国土は法性の理に応ずる無為涅槃界で在り、一切の衆生を導き救う為に仏に拠って構えられた世界で在ると説かれて居る。(ウィキペディアより)
 宇治の平等院の鳳凰堂等は、此の極楽浄土を表そうと造られた建物でだそうです。
 此の世と彼の世の間に中陰(ちゅういん)と言う世界が在ります。此の世界を抜けるのに49日間掛かります。此の間、七日毎に仏様が順次入れ代わり、一人前の仏と成れる様に必要な事を教えて下さいます。又、此れと平行して閻魔大王を座長とする、極楽行か地獄行かの判定会議も七日毎に開かれます。
そして49日目に、極楽行か地獄行かの判定が出るので、七七日忌(四十九日)は初七日に次ぐ大事な供養の日と成って居ます。又無事極楽行が決定しても、勉強は未だ終わりません。仏の世界で一人前に成るまで33年の長い時間が掛かります。初七日から33回忌までの導師を十三仏と言います。
 初七日                 不動明王
 二七日(ふたなのか)          釈迦如来
 三七日(みなのか)           文殊菩薩
 四七日(ししちにち)          普賢菩薩
 五七日(ごしちにち三十五日)      地蔵菩薩
 六七日(ろくしちにち)         弥勒菩薩
 七七日(しちしちにち四十九日)     薬師如来
 百ケ日                 観世音菩薩
 一周忌                 勢至菩薩
 三回忌                 阿弥陀如来
 七回忌                 阿閃如来
 十三回忌                大日如来 
 三十三回忌               虚空蔵菩薩
 華は極楽浄土を連想させるので、葬禮には付き物ですが、生きた儘、摘み取られるので有る、迷惑な話では有る。西洋では、御祭りで神様の通る道を花弁で敷き詰める風習の有る処も在ります。
 幾ら華で飾っても、人は死ぬとやがて蠅が集り出し、腐乱し出し、軈て蛆が涌き、最後には白骨と成るので有る。自分も軈て死んだら焼かれると言う現実を理解すべきで有る。
 在りもしない極楽浄土を夢見て自らの命を捨てては成らじ、日々日常の中に極楽浄土を見出す努力を怠っては成らなじ。

              2005−05−29−37−OSAKA

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