魔性の笑い

 人は高齢に成ると日常生活の中で笑う事等余り無い、御腹を抱えて大笑いする事等皆無に等しい。笑いは健康、長生きの秘訣でも有るが、新聞で子供が母親を殺して首を切り落とし、生首を持ち歩く等の事件が多い。余りの悲惨な事件の多さに、又かと其の異常さに無関心に成ってしまう、現代人の心の無関心の恐怖が有る。社会全体が虐め、軽蔑、無視、無関心、陰湿でも有る。吾が子への虐待事件も有る。
 テレビでは若いタレントも頑張って居るが若者を笑わす為に老人のドンくさい行為をネタにしたりで有る。若者が老人を馬鹿にした様な発言をしても誰も窘める人が居無い。若者も其の内年老居るので有る。老人の姿は明日の自分の姿でも有る。現実は悲惨でも有る。日頃が余りに陰気、憂鬱な為、偶には大笑いしたいと想う人も多く、態々御金を使って、落語や漫才、漫談、喜劇の演劇を観に出か掛ける人も多い。足腰の悪い高齢者は自宅でテレビを見て笑う位で有る。昔は演芸場の中継も多かった、如何に人が笑いに飢えて居たかが判る。有名なベテランの芸人も其の内亡く成ったり、引退したりで暫くテレビを観無いと浦島太郎の如くに、若い名も知らぬ新人タレント、芸人と出会う事と成る。テレビも偶には観ないと世間の話題に付いて行け無く成るので有る。
 或る蒸し暑い夏の真夜中に窓を開けっぱなしにして寝て居ったら、隣の棟から聞こえる子供の泣き声で目が覚めた。昔は母親に愛されたいのに悪さをしでかしてしまい、悲しくて泣きじゃくる子が多かったので有るが、最近の子は親に叱られ、親迄も信用出来ず、生命の危険を感じるのか、悲痛な叫びで泣く子も多い。怯えた様な悲痛な泣き声で有る。子供の泣き声は其れ程珍しい事では無い。マンションやアパート等の集合住宅の欠点でも有る、静かな一戸建ての家に住みたいと誰しも想うが資金が掛かるため多くの人は集合住宅で泣く泣く我慢をする結果と成る。聞きたくも無いピアノの練習音や下手なバイオリンの音は特別としても、犬も喰わ無い夫婦喧嘩、親子喧嘩も聞こえて来る場合も有る。酷い喧嘩に成ると刑事事件に発展するので無いかと心配する人も多いが、係わり合いたく無い人も多いのか止めに入る人も少ない。其の日も何時もの様に男の子の悲痛な泣き声が隣棟から聞こえ、ひつこく続いたが、可笑しな事に男親の笑い声が頻りに聞こえるので有る、時々女親の笑い声も、吾が子が泣いて居るのにで有る。何やら悪夢を見て居る様でも有った。隣の棟の事は言え網戸を開けて外を覗いて見て見たが誰も覗いて居る様な人は居無かった。たった一日丈の珍事か、吾が子への虐待かとかんっぐるってしまう一夜で有った。其れ以後は無いがあれは一体なんで有ったのか。悪い夢でも見て居ったので有ろうか。蒸し暑い夏の夜の珍事で有った。
 吾が子を虐待して面白がって笑い続ける親等居るので有ろうか。男親が叱って暴力を振るっても女親が庇うのが人の道、女親まで一緒に成って笑い呆けると言う凡人には理解出来無い魔性の笑いの世界で有った。
 性犯罪史の中には凡人の想像出来無い世界も存在しする。異常性欲者の世界でも有る。異性を虐めて性的快感を感じる、加虐性異常性欲も有るが、吾が子と成ると考え難い。犬や猫等の動物を虐待する人も多いが、いくら何でも吾が子と成ると考え難い。男が天女の様な少女を虐待して快感を得る事件は多いが、吾息子と成っては異常性欲とは考えられ無い。常識を超えた世界を目にすると凡人は何も考えられ無い。
 アダルトビデオも犯罪史の虚構の世界での再現も多い、其のカテゴリーの多さに唖然とする人も多い。犯罪史の中には便所や湯殿の覗きから、虐待、緊縛、強姦、同性愛、・・・揚句の果てには屍姦迄存在する。虚構の世界を現実の世界と混同してしまう、人の心の脆弱性の象徴の様な世界でも有る。幾ら見ても満たされ無い料理番組の如くでも有る。性欲は本能的な事丈に時代による好みの変化が少ないのか、映画の様に製作年度がはっきりしないビデオ作品の中には可也古い物も今だに売られて居たりもする。技巧に走り過ぎるとエロチシズムも失われるのも不思議な世界でも有る。水着の女性より、春風の悪戯で着物の裾が乱れるのによりエロチシズムを感じるのも不思議な世界でも有る。
 性とは全く関係が無いのに、性器と隣接して居る為に排泄行為迄もがエロチシズムの対象に成ったりもします。排泄行為其のものも快感を伴う為でも有る。日頃目にする機会が皆無で有る丈に関心を持つ人も多い。必要不可欠の割りには公衆便所の少なさも原因して居る。
 我々は精神分析医では無いし、近所の子供が泣いて居れば誰しも関心を払うのは当然としても、隣の棟の事とは言え住民の事を余り書くと悪口を書いて居ると誤解され、恨みを買い兼ね無い。酒癖の中には笑い上戸も有る。酔うと矢鱈笑う人も居る。悪い酒でも飲んだので有ろう。実際は心配する程の事でも無いのかも知れ無い。笑い茸の様な薬物の中毒も有る、健康食品と称して怪しげな茸も発売されて居るとか、幻覚を伴う茸は法律で販売を禁じられては居るが。森に生えて居る茸の中には毒が有るのも有る、素人は手を出さ無い事が肝要か。
 昔、怪しげな祈祷師、妖術師は、怪しげな茸や薬草を使い、人々に幻覚を起こさせ、自分こそが神の使いで有る事を知らしめて来たもので有る。事実病気も治して来たので有る。辛い修行の果てに、涅槃の境地に到り、幻覚で阿弥陀如来に出会い、悟りを感じても其れが真の仏の世界か信じ難い。彼の世での栄光を夢見生き仏と成った人も居る。幻覚に溺れる事無かれ。薬物に因る幻覚は所詮幻に過ぎ無い。
 自分に理解出来無い事は魔性、精霊の仕業にしたくも成るのは此の世の常でも有る。迷信や妄信も今だに有る。地下鉄でサリンを撒いた宗教団体も今だに名前を変えて活動を続けて居る。実に怖ろしきか人の心で有る。此の世の真を見届ける心眼を持つことが何より大事な事か。
 バケツ一杯の砂金が採れ、気が振れて舞い上がってしまった人が居ます。信じ難い幸運を手にして踊りだし、笑い出す人も居る。幸運も人生を狂わすので有る。其れを懼れて宝籤は決して買わ無い人も居る。憧れの東大の入試に合格し、胴上げされて空に舞い上がる学生の喚起が恒例のニュースの格好の場面で有るが、落ちて落胆して居る人の居る側でで有る。人生には幸運を手にしても慎みが必要なので有る。甲子園の高校野球の試合の後の会見は、勝者と敗者が余りにも対称的で有る。登竜門と言う言葉も有る。激流を登りきった魚丈が竜に成る諺でも有る、大湖に上り大魚と成り、主と成って子孫を残せるので有る。篩に掛けられる人の世の悲しさよ、しかし、焦る必要も無いので有る、死ぬる時に良き人生で有ったと思えればそれで良いので有る。







          2007−07−02−243−02−01−OSAKA



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