桜の樹の下で

 桜の花は日本の国花でも有り、百円硬貨のデザインにも成って居る。直ぐに散ってしまうものの哀れが日本人にの心情に合うのか。寒くて辛い冬が終わり、誰もが心浮き立つ春を代表する花でも有る。梅が咲き、桃が咲き、桜が咲くと木の芽が出だす以後の花は葉っぱと一緒と成る。咲き出して散ってしまう期間が短く、休日と満開が重なるのは一年に一度程度と成る。花冷えの日が続く歳は少々長持ちもします。
 散り始めた桜の樹の下で花見の宴は秋の紅葉狩りや祭りや神社、仏閣詣りに並ぶ、庶民の細やかな娯楽でも有る。昔から重箱に料理を詰めて、桜の樹の下で杯を廻したものでも有る。たかが桜の花位で歌い出したり、踊り出したりする人が居るのも不思議な話では有る。昔は娯楽も少なく当然とも思えるが、心の許し合える友や伴侶、家族が居ての事でも有ろう。
 昔、大閤豊臣秀吉が、最晩年に贅の限りを尽くし開いたと言われる「醍醐の大花見」は余りに有名で有る。当時の様子を再現したのが「豊太閤花見行列」です。華麗な衣装に身を包んだ豊太閤が、北の政所、淀殿、侍女等を従えれ醍醐の大花見を催したので有る。御金も可也掛かった事で有ろう。桜の樹の下で赤い毛氈を敷き、散り始めた桜の花を見乍での大花見に堪能し、吾が世の栄華の美酒に酔い痴れた事で有ろう。
 現代でも会社のレクレーションの一環として恒例に成って居る処も、若手社員が場所取りに朝早くから駆り出されたりもする。中には泥酔して桜の樹に失礼な事も。真逆、御婦人はなさら無いで有ろうが、男なら反吐を吐いたり、立ち小便も遣りかねない。桜の樹は罰を与える事も無く、朝には塵の山で有る。
 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからずと詩に詠まれ、人の世の無常さを諭して居る。
 染井吉野も実を付けたりもするが果物の美味しいさくらんぼとは大違いで有る。都会の桜は受難の時代でも有る、敷地から枝が外に出たら文句百垂れ言う人が居るのか、無残に枝の切られたを桜の樹を見掛けたりもする。花が咲かぬ程に枝を切ってしまう等正気の沙汰とは言い難い。卒業生が植樹をしたで有ろう学校の敷地の桜の樹がで有る。桜の樹は元来切ら無いのが良い、梅の樹は切っても良いが。
 暖冬のせいか時期外れに何を勘違いしたのか、土の中から出て来てしまた蝉の幼虫を桜の樹の近くで見かけた、例年なら7月20日前後に鳴き出す蝉が四月の半ばにで有る。不幸にも当然羽化は出来無いので有るが。異常気象で生物の体内時計迄狂って来るので有ろうか。桜の花の時期が終わると、躑躅が咲き出し、やがて皐月が咲き、季節は初夏に向かって巡るので有る。又、暑い暑い夏が遣って来るので有る。
 桜の花は戦争映画等で散り逝く命の儚さの象徴的に描かれて居ます。桜吹雪、花浮き橋日本人の好きな言葉でも有る。出兵の前に二度とは帰れぬ予感か婚約者の女性との大瀬も叶わず、処女で有る事を願う男と最早二度と会えぬのなら、一夜丈の大瀬を願う女との別れを夜桜の下で美化して描かれたりもします。その様な事態に到った国の悪政の事には触れな無いので有る。無理矢理戦場に駆り出され、上官の命令に従ってした事が戦後の裁判で戦犯にされてしまったりするので有る。米英を鬼畜とまで言って居た人が戦争に負けた途端に進駐軍の言い成りに成ったので有る。教育勅語を強制的に暗誦させた教職員が、教科書に進駐軍の支持にしたがって真っ黒に墨を塗らせたので有る。心は痛ま無かったので有ろうか。
 特攻隊の話は余りに悲惨では有るが、男らしさ、男の凛々しさの象徴として美化されて描かれて居ます喜んで死んで行った兵隊等居る筈も無いので有る。両親や兄弟に遺書を書き終え、明日の出撃を前に眠れぬ一夜を何を思って過ごしたので有ろうか。涙は或る程度出尽くすと涸れるので有ろうか、出撃後宿舎の掃除に来た当番が全員の枕がビッショリと濡れて居ったと言っていたと証言して居た人も最早此の世には居無い。戦争の現実も風化し美化された戦争映画の中の世界が現実と誤認されて行く。時代考証も都合の良い方向に作られてしまうのか。誰も見た事の無い昔の事等文句を言う人も居無いのか。
 戦後60年間日本は一度も戦争をしなかったが、その間にアメリカが係わった戦争や紛争は数え切れない。日本の日本国憲法はアメリカの憲法より優れて居る事は自明で有る。其の日本国憲法を改悪する目論見が有る。国政に喜んで従う若者を育てる為に、教育基本法の改悪も目論んで居る。憲法も勝手気儘に改悪出来る様に。国民投票法の改悪も予定して居る。げに怖ろしきは人の心成り。死に行く老人の意見等政治家は聞か無いので有る。何やら戦争への足音が聞こえて来そうで有る。
 最近赤ちゃんポストと言う物が出来た。貧困以外にも理由が有ってか、吾が子を育て倦ねた母親の捨ててた子を救おうと言うので有る。人の心は変わるもの、其の内、吾が子を返して欲しく成ったら如何するので有ろうか。其の内、親の介護をし倦ねた子が姨捨山に親を捨てる様に成るので有ろうか。心浮き立つ桜の樹の下で、死んだ母者が弔いもされず、やがて髑髏に成るので有ろうか。桜の花は毎年爛漫に咲くが人の心はお山の賑やかとは裏腹に確実に蝕まれて居る。
 花咲爺の昔話も違和感も無く聞けるのも、冬に枯れ木様に成って居った桜の樹が春に成って、魔法に掛かった様に見事に花を咲かせるからでもあ有る。此の世の奇跡でも有る。樹でさえ花を咲かせるのに、一生花の咲かせぬ不熟の儘に人生を終える人も居る。しかし、そんな不甲斐無い人生でも戦争で殺されるよりかわましで有る。腐りきった国政でも、戦争よりかは益しで有ので有る。










            2007−04−22−216−01−01−OSAKA



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