手の無い天使

 何も持た無けば人は青空を飛翔出来無いに決まって居るますが、古代から人は青空を自由に飛ぶのを夢見て来ました。西洋では羽根を持った天使が空飛び、ラッパを吹いて居ます。東洋では羽衣を羽織た天女が優雅に笛を吹きながら青空を舞って居ます。
 天使が鳥の化身なら、手が在っては可笑しい。禁欲的なキリスト教を以てしても、人の欲望を抑制しえて居ない。東洋の天女も、天上界には咎人等居無いのか、大事な大事な羽衣の管理が出来て居ません。
 二つの内、何方か一方をあげると言われて、両方欲しいと駄々を捏ねる子供が居ます、人の欲望は死ぬまで果てる事が有りません。
 食欲をコントロール出来れば、体重もコントロール出来る事が分かって居ても、凡人には其れすら出来て居無いのが現実です。
 人を何人も殺したいと言う欲望に苛まれ、其れを実際に実行した人達が居ます。死刑に成る其の時迄、もう一人殺せ無かった無念さが鬼畜達の心を苛み続けるとしたら、人の心の成す業の深さを思いしらされます。罪を犯す快感が忘れられず、刑の途中の借り出所で刑務所を出て直ぐに再犯を繰り返す、受刑者も居ます。再犯の防止の為の受刑者への教育の必要性や法律の改訂も検討されて居ますが、其の様な事だけで此の世から再犯が無く成るとは思え無えません。
 其れでも、死刑の廃止を言い出す政治家も居ます、人の心は様々で在る。
 日本人の多くの人は西洋のキリスト教の修道院は、世を捨てた人が入る物と思って居ます、しかし、実際は神に撰ばれた人丈が入れるのです、品行の良い、心の清い人丈が入れるのです。厳しい戒律が在り、凡人には決して住み心地の良い所では決して有りません。 一方東洋の或る寺院の話として、全財産を寄付して寺院に入った人が、以前は幸せで無かったが、今は幸せだと言って居ました。人の心は凡人には測りしえない。
 最近の若者の多くが、自由と他人の迷惑も構わ無い、身勝手、我が儘、遣りたい放題と履き違えて居ます。他人の心を無視した自由等無いのである。
 日本の学生の黒い学生服を見て、以前の日本の軍隊を連想してか、眉を顰める外国人も多いが、古い西洋映画等を観て居ると学生服を着て居る場面に出会います、確かにヨーロッパでも学生服は有ったので有る。もっとも当時の日本は西洋の学生服を真似て、学生服を導入したので有ろうから、当然の事では在りますが。現代のヨーロッパの履き違えた自由丈を観て居ては、西洋の真の姿を理解出来無い。以前の西洋の大学生は背広を着て、ネクタイを絞め、真剣に勉学して居たので有る。他人の心を気づかわ無い、我が儘かっての生活の中からは真の自由の心は生まれて来無い。
 不治の病に侵され、もっと行きたいと切望する人も居れば、生きていたく無いと、自殺をする人も居る。自殺しょうとした人を助けようとして命をおとしす人も居れば、死ね無いで途方に呉れる人も居ます。煩悩の海の中で生きて行かなければならない現代人、恰も水の中に居ながら渇を哮ぶが如。青空を見上げれば、鳥達が優雅に飛翔して居る。手の無い天使達を哀れんでは成らない、大空は限りなく広く、其れだけで素晴らしい事なので有る。

                  猫の文句

 猫も文句を言う時が有ります。猫の文句に聞く耳を持た無い人にとっては、外国語にも聞こえ、永遠に理解でき無い。位人臣を極めた人は、底辺に居る民衆の文句にも聞く耳を持つべきです。猫を子供が玩具代わりに弄んでも、猫は其の内子供は厭きる事を知ってか鋭い爪を立てるでも無し、される儘に成って居ます、猫が文句を言うのは訳が在るのです猫にも猫成りの思いが有るのです。特別に美味し餌を貰った時だけ何故か文句を言います 労働者にとって五十五歳に成って、給料や賞与が減る事に、憮然としますが、更に悲惨なのは、歳いってからの配転です。会社のかってで将棋の駒の様に、人が動かされるは堪られ無い。白羽の矢が当ら無かった人にとっては関係の無い事でも有り。配転闘争の難しさが此処に有ります。




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